ガジェット文明と全裸警官 — 覗きと覗かれの境界線

グーグルのストリートビュー車が、またやらかした。
映ってはいけない“あちら側”を撮ってしまったのは、偶然か、それとも文明の盲点か。

場所はアルゼンチン・ブエノスアイレス州。
2017年、ある小さな町で、自宅の庭にいた男性(職業:警察官)が、2メートル超えの壁の向こうにいたにも関わらず、
Googleストリートビューのレンズに捉えられた。

全裸で。

もちろん、顔にはぼかし加工。
だが、家の外観や場所、町の規模を考えれば、
「誰か」はすぐに「誰それさん」と名指しできる。

👁‍🗨 プライバシーは“公共”の壁を超えられるか?

彼の訴えはこうだ:

これは公共の場じゃない。家の中のプライベートな空間を、勝手に覗かれたんだ

裁判所は最初、グーグル側に軍配を上げたが、
再審を経て、2024年に1万2500ドル(約186万円)の賠償命令が下る。

そしてこう明言された。

この画像は、公共空間の撮影ではなく、自宅内の私的空間の侵害である

皮肉にも、この「判決の論理」こそが、
私たちの時代の“眼差し”のズレを物語っている。

🤳 デジタル覗き魔と化す“技術”

Googleストリートビュー。
私たちはそれを、便利さと好奇心の中で、疑うことなく使っている。

でも、そのレンズは誰の許可を得て、どこまでを「公共」として切り取っているのか?
家の庭でくつろぐ時間。
フェンスの向こうの生活音。
そして、偶然写り込んだ裸身。

これらすべてが、「AIで自動処理されてます」という“正しさ”の仮面を被って、
データベースに吸い込まれていく。

見たくないものを見てしまう。
見られたくないものを世界に晒してしまう。
——そんな時代を生きている。

🧠「裸にされた」のは誰か?

今回の被写体は、全裸の警察官だった。
でも、裸にされたのは、
きっとGoogle自身の倫理だったのかもしれない。

私たちが笑って済ませてしまうその“1枚の画像”には、
見えない無数の視線と、無数の境界が写っている。

「見る」という行為がもはや中立でないなら、
そこにあるのは単なる偶然ではなく、
テクノロジーの暴走私たちの無意識な加担だ。

🔚 風刺のひとこと

裸を撮ったのはカメラ。でも、笑ったのは、あなた。

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