「嫌われないCM」が正解なのか?今田美桜の名前から考える、好かれたがり社会の違和感

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CMに対して「うるさい」「しつこい」と感じることは誰にでもある。
けれど、“嫌われること”自体が不適格とされる今の空気に、少しだけ疑問を覚える。
「万人に好かれるCM」なんて、本当に存在するんだろうか──?

ランキングで押し流される「好き」の居場所

「ウザいCMランキング」に今田美桜の名前が挙がっていた。少し驚いた。私は彼女のことが好きだし、NHKの『あんぱん』は毎朝観ている。CMでも自然体のまま元気を届けていて、そこに嫌われる要素は見当たらなかった。ただ、そう感じない人がいるのも事実だろう。それ自体はいい。でも、それが「1万5000人の声」として数値化された瞬間、こちらの“好き”はどこかへ押し流されてしまう。

「誰にも嫌われないもの」が正しいという幻想

CMという表現は、少しの引っかかりや違和感があるからこそ、記憶に残る。少しうるさい、テンポが早い、言い回しが癖になる──そういう余白の部分が、本来の“マス広告”には必要だったはず。けれど、今はほんの数パーセントの「苦手」の声に、作品ごと引き算が始まる。万人に好かれる正解だけを求める空気は、広告をただの情報伝達に変えてしまう。それはたぶん、少しだけもったいないことだ。

CMの演技を人格ごと批評する浅さ

CMの中でタレントが発する言葉や動きには、当然ながら台本と演出がある。出演者は「自分を演じている」のではなく、「作品の一部として与えられた役割を演じている」だけだ。だからこそ、その演出を通して「本人がウザい」と切り捨てるのは、どうにも早計に思えてしまう。演出に無理があれば、演技に限界が出るのは当然だ。でも、振り切った演技が空気を変えることもある。その瞬間に感じる清々しさまで否定されてしまうのは、少し寂しい。

「好き」と言える余白を、ちゃんと残しておきたい

どんなランキングでも、誰かの「好き」と誰かの「嫌い」は同時に存在する。その中で、自分が「このCM、わりと好きだったな」と思えたなら、その感覚を持ち続けていいと思う。声の大きさや票数ではなく、自分の感受性で残る印象もある。すべてを数値にして、評価で語り合う時代だからこそ、ほんの少しでも「好き」を言葉にできる空気を残しておきたい。誰もが好むものではないかもしれないけれど、誰かの中に残るものは、きっとそれだけで意味がある。

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