Fラン卒に未来はない? その言葉が奪っているもの

「どうせFランだし」という呪文の正体

「Fラン大学に未来はない」
そんなネット記事の見出しを、今朝スマホで見かけた。
お決まりの煽り文句にしては、やけに胸に刺さる。
そう思ってしまう自分の中に、すでに“呪文”が効いている気がして怖かった。

たしかに、就職実績もネームバリューもなく、世間的な評価は決して高くない。
でも、それを口にすることで自分を下げるのは、いつだって「自分自身」だ。
「どうせFランだし」――この一言が、未来を閉ざすいちばん強力な呪文かもしれない。

不思議なもので、“Fラン”と呼ばれる大学に通っている人の中には、妙に冷めた目をしている人が多い。
それは世間への諦めか、自分への照れ隠しか。
努力しても報われないという漠然とした不安と、どこかで「本気を出さなかった」という予防線。
でもそれ、たぶん逆なんだと思う。

どの大学に通っているかは、あくまで「スタート地点」でしかない。
努力も行動も、その後の生き方も、すべて本人次第だ。
現に、東大を出ても「栄光の肩書き」に縛られて動けなくなった人もいれば、MARCH出身でものびのびと働いている人もいる。

結局、看板じゃない。
何を言い訳にして、何を選ぶかの問題なんだと思う。

「Fランだから」と嘆く前に、授業に出る、アルバイトする、資格を取る、文章を書く、仲間をつくる……
その大学で、できることは山ほどあるはずだ。
なのに、自分で自分を“負け組”に仕立ててしまう。
その呪文の力に屈してしまうのは、本当にもったいない。

大切なのは、「自分をどう使うか」。
肩書きじゃない。過去でもない。
「今日」何をするか。
それだけが、未来をつくる材料になる。

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