書評|渇愛(宇都宮直子)—「頂き女子りりちゃん」事件が映す詐欺・都市の孤独

書籍:『渇愛 — 頂き女子りりちゃん』/著:宇都宮直子(2025年)|ノンフィクション書評

冒頭の感情:『渇愛』を読み終えたときのざらつき

ページを閉じた瞬間、拍手でも糾弾でもない、ちょっと居心地の悪いざらつきが残った。驚きでも軽蔑でもなく、「なぜこんなに惹かれるのか」という、やや自己嫌悪に近い感情だ。著者が被告=“りりちゃん”に惹かれていく過程を追う筆致は、読者の感情をじわりと巻き込んでくる。

渇愛(宇都宮直子) — 表紙画像

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内省:なぜ私は『頂き女子りりちゃん』に心を掴まれたのか

なぜこんなに心が揺れるのかを自分に問うと、答えは単純だった。私たちは「犯罪」と「魅力」のせめぎ合いに弱い。虚構で塗り固められた存在が、孤独や渇望に触れるとき、倫理よりも感情の接着剤に先に反応してしまう。記者が被取材者に近づき、やがて飲み込まれていく描写を読むたび、自分の内側にも「判定を保留にしたい」という甘さがあることを認めざるを得ない。

作品の社会的意味:詐欺事件を超えて見えてくる現代像

本作の価値は、単なる詐欺の手口暴きに留まらず、現代の都市的孤独、過剰な“推し”文化、メディアと当事者の関係性を鮮明にする点にある。著者が拘置所まで足を運び、被告と向き合う熱量は、同時に社会の空洞を照らす懐中電灯でもある。被害者の孤独、支援者の盲信、そしてメディアの誘惑――これらは事件個別の話を超えて、時代の症状として浮かび上がる。

現代社会への示唆(フィード)

  • 都市の孤独が「投資対象としての人間」を生む構造。
  • 推し文化と消費の過熱が人間関係の匿名化を進めること。
  • メディア取材が過度に当事者に寄ることで生まれる倫理的危うさ。

結語と問い:読み手に残すもの

『渇愛』は刺激的だが、それで終わってはならない。読み手に求められるのは、単なる好奇心の消費ではなく、自分の惹かれ方を省みる行為だ。「私たちはなぜ『りりちゃん』に惹かれるのか。そして、その惹かれ方が脆い人間関係の構造にどう加担していないか」。この問いを持てるかどうかが、読了後の最低限の礼儀である。


(若菜)短めの読後メモ

面白かった、でも危ない。まず自分の感情の位置を確認せよ—それがこの本の読み方である。

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